“ゼロの地点”に立ち、そして
『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』感想文

徳田 和史(50代 会社員)

 
『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』
 
 私が、『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』を読むに際し、頭の片隅にあったのは、昨年暮れのOSPの集会における伊藤伸二さんの、「ようやくこの3月に、『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』が出版されることになりました。出版が遅れたのは、どうしても自分自身が納得いかないところがあり、何回も練り直していたからです。私として10冊目の節目ある本となり、吃音問題に関して私の集大成となるもので本望です」とのスピーチだった。
 
 伊藤さんには大変失礼であるが、私は、どのあたりが何回も練り直した部分なのかを見つけることに興味があった。読み進むうち、このあたりではと想うところがあった。それは、第6章の“マイナスからゼロの地点に立つ” から “未来志向のアプローチ”そして“吃る力”までの展開ではなかろうかと。(P.103〜)
 この展開のなかでは、論理療法はもとより、吃音評価法、交流分析、自己概念等の考え方が取り入れられており、改めて、日頃OSP吃音教室で行われているこれらの講座が意義あるものだと実感した。
 
 この本を読み終えて私として感じたことは、佐々木和子さんが言っているように、悩める吃音者にとって“居場所”の確保が大切ではないかということ。(第3章 P.43〜)
 佐々木さんにとっては、そこが大阪教育大学言語障害児教育課程であったし、私にとってはOSP吃音教室であった。子どもたちにとっては吃音親子サマーキャンプではないかと思う。
 
 一人悩み、落ち込み、どうしていいか分からない吃音者にとっては、自分の存在を認めてくれる“居場所”があってこそ、そこで情報を得、自ら体験することによって、自己意識・自己概念が芽生え、マイナスからゼロの地点に立つことができ、そして、そこから未来志向のアプローチに向かうこともでき、なおかつ“吃る力”を得ることができるのではないだろうか。
 
OSP機関紙『新生』2005年05月号掲載