未来像を照らす一冊
『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』感想文

東野 晃之(40代 団体職員)

 
『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』
 
 『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』は、通読すると、様々な経験が鮮やかに浮かび上がる。どもりで悩み、苦しかったこと、セルフヘルプグループの仲間との出会い、そこで話し合い、議論し、学んだことなどである。
 それは本書が、吃音研究者の長年の研究成果と、吃る当事者の体験やセルフヘルプグループの実践をもとに、吃音問題や吃音への対処法が整理され、普遍的なものとして読者に理解しやすく、生かすことができるようにまとめられているからだろう。
 読み終えて、「どもりもまんざら悪くない。むしろ、どもりで悩んだ経験は自分の財産だ」という感慨が残る。
 
 本書では、常にマイナス面が先に浮かびがちな、どもりで悩んだ過去を、実は、悩んだことにも意味があり、「吃る力」があるのだと、プラス面を提唱する。(第6章 P.103〜)
 過去の事実は変えられないが、過去への意味づけが変わると、自己意識もおのずと変化し、現在から未来へと、展望が開けていくように感じられる。
 
 どもりの悩みで、苦しかったのは、「どもりは、劣る」「どもっていたら、まともな職にも就けないに違いない」と、未来像が描けなかったことだ。未来像への歪みが、吃音の問題を余計に大きくしてきたように思う。
 水町敏郎先生が書かれた、〈吃音者の就労と職場生活〉の章で、吃音者の職種についての調査、研究を読むと、「どもっていたら〜」は、思い込みにすぎず、想像や推測であったのがわかる。(第7章 P.123〜)
 吃音者は、実に多種多様な職種に就いているし、司会業、保険外交員、接客業、学校の教員、医療関係者など、人とのコミュニケーションがとくに重要な役割を果たすと考えられる仕事にも従事しているのである。
 
 吃音者は、マイノリティ(少数派)である。常に、周りの吃らないマジョリティ(多数派)の偏見などに、さらされる立場にある。「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」という吃音者が持ってしまう偏見は、周りのマジョリティ(多数派)から貼られたスティグマ(烙印)によるものだ。
 佐々木和子さんの、〈ある成人吃音者の生活史から、吃音とのつき合い方を考える〉で、なぜ、吃音に対して、強い劣等感、嫌悪感を抱くようになったのか、を読むとそのことがよくわかる。(第3章 P.43〜)
 本書では、セルフヘルプ・グループの最大の意義は、このスティグマ(烙印)を仲間と共に剥がしていくことにある。そして「吃音を治し、改善する」を目指すのでなく、吃音を否定せず、「吃っている事実」を認め、自分らしく生きることで、社会の偏見を変えていく必要が述べられている。
 
 『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』は、読めば、読むほど、私たちに次なる展開を示唆しているように思う。吃音を治すことを諦め、「吃っている事実」を認めて、ゼロの地点に立ったその先の未来像は、明るく照らされている。
 まだ、手にしていない方には、是非読んでいただきたい、お勧めの1冊である。
 
OSP機関紙『新生』2005年05月号掲載