『どもる子どもとの対話 〜ナラティヴ・アプローチがひきだす物語る力〜』読後感想
対話の大切さに触れるきっかけ
溝上 茂樹(鹿児島市立名山小学校 ことばの教室教員)
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私がどもる当事者としても、ことばの教室の担当としても中途半端で、このままでいいのかと心が揺れ動いていた時に、対話の大切さに気づかせられたのは、毎年夏休みに琵琶湖のほとりの彦根市荒神山自然の家で行われる吃音親子サマーキャンプでした。2009年に19回を迎えたこのキャンプには、生き生きと自分のどもりを語る子どもたちやスタッフとして参加する大人たちがいました。 | |
話し合いや作文、劇などキャンプの柱となっている活動を通して、子どもも大人も自らのどもりと向き合い、しっかりと悩み、自分の問題として取り組んでいる姿がありました。キャンプに参加している子どもたちは、話し合いで、自分のどもりのことを生き生きと語っていました。話し合いに参加していた一人の女の子は、どもることを知られるのが嫌で不登校になっていることを自ら話し、どもりのことを知られるのは「絶対嫌だ」と話していましたが、三日間の話し合いの後には「どもりのことを、 自分からはまだ話せないけど、知られるのはいいかな」と変化していきました。 キャンプの二日目、急に子どもたちの話し合いのファシリテーターをすることになりました。私は、教師としての立場からどうしたらうまく話し合いを進めていけるかということばかりを心配して、なかなか話し合いを始めることができません。焦った私は、とりあえず子どもたちをまねて、自分のどもりの経験を話すことにしました。すると、それを聞いた子どもたちは自分のどもりの経験や考えを話し始めました。ファシリテーターという立場ではなく、目の前にいる子どもたちの仲間として自分自身のことを話すことで、子どもたちも心を開き、自分自身のことを話してくれました。 |
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このキャンプを経験して、自分のどもりをありのままに口に出し、どもっても大丈夫と自然体で生きている子どもたちは、それまで私が考えていたような、かわいそうな弱い存在ではなく、むしろ尊敬できる存在であるということを実感することができました。 子どもたちは吃音に向き合い、しっかりと悩み、自分のどもりを語る力をもっているということ。同じ立場で自分のことを自ら語ることで、他の人の様々な考え方や生き方に触れ、自分がどう生きるかを見つめ直すことができるということです。 |
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それから、このキャンプで出会った仲間との対話を様々な場で繰り返す中で、ナラティヴ・アプローチや当事者研究、レジリエンス、オープンダイアローグ、ネガティヴ・ケイパビリティなどの考え方に出会うことができました。特にナラティヴ・アプローチは、この本の編著者の国重浩一さんを講師とした吃音ショートコースや鹿児島で行われたワークショップに参加し、2014年に金沢で行われた吃音講習会では、当時富山大学の教授だった斉藤清二さんのナラティヴ・アプローチの公開面接も受けました。その様な機会を経て、それらの考え方の中で、キャンプで私が実感した子どもたち自身がもつ力や対等性が重視されていることを知りました。そして、その考え方をもとに、ことばの教室で子どもたちと対話を重ね、対話の大切さをさらに実感することができました。 | |
この本には、大勢のどもる人やどもる人にかかわる人の体験や語り、それらの人が語る物語をもとにした知識、知恵、哲学がたくさん詰まっています。対話の大切さに触れるきっかけになり得る本だと感じています。 | |
最近父が亡くなり、父との関係性を振り返ることが、たびたびありました。私は父と自分のどもりのことについて話したことはありません。父のことを思い、この本を手にして、改めて父と対話する機会を失ったことを後悔する気持ちが湧き上がってきました。この本が親子の対話を促すきっかけにもなればと思います。 | |
日本吃音臨床研究会機関紙『スタタリング・ナウ』2019年1月号掲載 | |
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