2000年11月10日(金) 6:45〜9:00 会場:アピオ大阪
レッスンの目的:「吃音をどうにかしようというのではなく、ことばってどういうものだろう、ことばを発するというのは基本的にどういうことであって、自分が自分の声のことばで他者に対して話しかけるのはどういう行為なのかを一緒に考えたい」
当日の写真画像
大阪スタタリングプロジェクトの吃音教室に、以前から楽しみにしていた竹内敏晴さんが、とうとう来てくれた。竹内敏晴さんと大阪スタタリングプロジェクトとのお付き合いは10年以上になり、毎年のサマーキャンプの劇の練習、昨年は大阪スタタリングプロジェクト30周年記念の「公開レッスン」があり、今年の春からは毎月第2土日に大阪でレッスンが行われている。しかし、このようなレッスンに参加する人は限られ、多くの吃音教室の参加者は、竹内敏晴さんという名前を聞くだけで、実際にレッスンを受ける機会はなかった。それが今回、参加者はおそらく吃音教室始まって以来最高の48人に上り、その多くは竹内レッスン初体験の人で、とても有意義な体験だったと思う。
歌による「ことばのレッスン」
さて、竹内さんの紹介の後、いきなり全員で『もみじ』を歌う。「秋の夕日に照る山紅葉……」。2回ほど自分たちで歌った後、竹内さんから声の出し方を教わる。まず、息の出し方。声を出すためには息を吐かなければならないという当たり前のことが、あらためて竹内さんから言われると、「そうだった」と確信できる。私に限らず吃音者はたいていそうだろうが、話そうとしてことばが出なくて困っているとき、息は全く出ていない。次に口の開き方。吃音者に限らず、最近の子どもは特に口を開けずにしゃべっている。つまり、ことばをかみ殺している状態。以前の自分自身の話し方がまさにそうだった。相手に分かってもらえない方が良かったから。
それからいつもの「息を入れて。止めて。口をぱかっと開けて。ニコッとして。上顎に息をぶつけるつもりで。ラララー」。これだけでも難しい。のどに力が入って明るい「ア」ではなく重く濁った「ア」になったり、舌に力が入ったり、「ラアー」の「ア」がだんだんと「オ」に近くなってくる。
息の継ぎ方もそうだ。大切なのは息を全部吐き出すこと。そうすれば息は瞬時に自然に入ってくる。吃音者の中には、話そうとすると胸一杯息を吸い込んでかえって緊張を強めている人がいる。
ここで、竹内さんから声を発するための二つのポイントを教えてもらった。
1.息が出ないといけない。
息がまっすぐに流れ出してくるということが第一。これがなければいくら声<を発しようと思っても、自分の中でぐるぐる回るだけで声が出ない。のどを開けっぱなしにして息を吐き続ければ相当な程度声は出る。
2.身体が動かないとダメ。
身体がまず動いて、相手に対して働きかけるということ。身体が硬直していたのではことばにならない。
次に全員で『ゆうやけこやけで日が暮れて』を歌った。「お手てつないで」のところで竹内さんの指示で相手を見つけて手をつなぐ。今まで緊張していた身体が、とまどいと共にぎこちなく動き出す。レッスンが終わってから初めての参加者に感想を聞くと、レッスンが始まるなりみんなで歌を歌ったり、いい年した人ばかり、恥ずかしくもなく誰とでも手をつないでスキップしているのを見て、驚き、あきれたと言っていた。
この歌を使って、「ゆうやけ」の声の出し方を習った。何度もやり直すうちに、「ゆうやけ」が単なる歌詞から、本当の「夕焼け」に近づいてくる。ことばを発することによって、まわりが明るくなったり日が暮れたり感じられるのがすごい。
「やま」にしても、最初は母音と子音が一緒に出ていないと言う指摘を受ける。つまり「Y-A-M-A」ではなく「ヤマ」。最初から「ア」が出てくるのが難しい。これだけでことばが明確になった。
2番を歌ったときに印象に残ったのは、「おおきな」ということばだった。最初「おおきい」と言ったときは、「おおきい」になっていたが、それではちっとも大きくない。2音目の「お」が大きくなって、つまり「おおきい」になって本当に大きくなる。
詩による「ことばのレッスン」
谷川俊太郎さんの『がっこう』を使って、ことばのレッスンをする。
最初に前に出た人は、いきなり出だしが言えずに、別の行から読みはじめる。
「おれんじいろのほのおのしたが」
「一番後ろの人、自分のところまで話しかけられたという気した?」
「ラララーって言ってみて」
竹内さんの肩を押しながら一番奥の人に向かって「ラララー」「おれんじいろのほのお」を何度も何度も繰り返す。途中の「じ」で声をひいたり、「ラー」が大きくなったり小さくなったりしていたが、竹内さんに指導してもらっているうちに、まわりで見ていても、目に見えて?!声が変わってくる。
それから同じ人が「がっこう」の「が」が言えなかったため、再度レッスンを受ける。
「が」っていってごらん」(肩を押しながら)
「がー」
「簡単に言えるじゃない。息を出しさえすればいいんだよな。一音一音。「が」をだしてから「っ」。「がっこう」を言おうとすると後の方が詰まってきてね、「が」が言えなくなる。」
「がっこう」(拍手)
いつも感じることだが、今まで詰まって出にくかった声が、まるで魔法にかかったように、大した苦もなく、のびのびと出てくる。
それからみんなでお互いに「がっこうがもえている」と言い合う。どうしても「がっこう」という四つの音をいっぺんに言おうとするが、初めの音を言ってから次の音を言うように気をつける。中には、大きな声が出ているが、最後でスッとひいてしまう人、「学校が燃えている」ことを説明をしている人など様々だ。
次に『ゆうぐれ』を読む。はじめは前に出るのを躊躇していた人も、しっかりと読んでいる。それが竹内さんに指導してもらうと、「おやじ」が「おやじ」となり、呼吸が変わったのが分かる。
次に出てきた女性も、竹内さんの肩を押しながら「ラララー」。
「ラー」っと息を出すのが難しい。声を届けるのではなく息を届けるつもりで。見かけは竹内さんを押しているが、実際には押していない。竹内さんの指導を受けて、奥の人を怒鳴る。
「めずらしい、と言ってごらん。まず、「め」を出して」
「めずらしい」
「めずらしいと一気に言うんじゃなく、まず「め」の「エ」までいってから「ず」を出す。最初の2音の間をうんと開ける」
「めずらしい」(拍手)
別の女性は、声が引っかかっている。竹内さんに背中から寄っかかって、「ラララー」。声の質が変わってくる。人に自分の身体を預けるだけでも、意識しないとなかなか出来るものではない。
こんな調子で4人が『ゆうぐれ』を読み終えた。まわりで見ていると、指導を受けるにつれて、話しことばが「ひらがな」になって見えてくるような気がする。中には出るなり落ちてしまう「かな」もあれば、失速する「かな」も、引っ込む「かな」もある。しかし、出よう出ようとして出にくかった「かな」が、気持ちよく飛び出してくる姿は、すばらしい。きっとこれは、竹内さんの指導の成果なのはもちろんだが、それだけではなく、その場にいる全員の、おそらく人事とは思えない「励まし」に支えられて、成り立っているのではないだろうか。
時間が来てしまい、竹内さんが今日のレッスンのポイントをまとめて下さった。大事なことは、息を出すということ。それは母音が出てから次を出すと言うこと。
最後にみんなで『ゆうやけこやけ』を歌って、2時間のレッスンがあっと言う間に終わった。楽しくて大笑いしながらのレッスンだったが、この2時間には、吃音者にとって現実にどもっている状態できっと役に立つことが、きっといっぱい含まれている。もしかすると、意識しては気付いていないかもしれないが、身体が知らないうちに変わっているかもしれない。
半年ほど前、サマーキャンプ向けのレッスンを受けているとき、休憩時間に竹内さんは「吃音は世間のしるところにあらず」ということをおっしゃった。「どもりの悩み、苦しみは、世間の人は理解しようともしないし、関心もない」と言う意味だが、この吃音者向けの竹内レッスンは、「世間の知るところにない、吃音者だけの楽しみ」だと思う。 竹内先生、本当にありがとうございました。
|
応典院での「竹内レッスン」
竹内レッスンについては、毎月 第2 土・日、
應典院に竹内敏晴さんに来ていただいて開催中。
詳しくは 072−820−8244 伊藤伸二まで
|
|
応典院での「竹内レッスン」会場地図
竹内敏晴さんのホームページ「からだ2007」
2005年3月の公開レッスンの様子
|