2004年度・第7回「ことば文学賞」選者講評


 2004年度「ことば文学賞」の審査と作品講評は、昨年度までの高橋徹さんに代わって、元朝日新聞記者の五孝 隆実(ごこう たかみつ)さんにお願いしました。
 このページでは、五孝さんからの講評を紹介します。


 伊藤伸二さん、溝口稚佳子さんから「ことば文学賞」の選を依頼されました五孝隆実です。
 これまで選を担当されていた高橋徹さんの新聞社時代の後輩です。詩人でもあった高橋さんと違い、新聞記事をかなり長い間書いていたというだけの人間です。つまり選を担当できる人間ではありません。
 選はとても難しい仕事です。正直言って手に余りました。それで、日ごろ考えていることをまず書き、その上で感想をつづることにします。
 本来なら教室にうかがって、直接私の口から話すべきなのでしょうが、とても仕事が忙しく、行くことができません。
 代わりに、この文章を書いています。申し訳ありません。

書くこととは

とりあえず散文について書きます。詩人でもあった高橋徹さんと違って、私はただの新聞記者経験者にすぎません。詩のことはよくわからないのです。
書くということは、自分の考えや思いなどを人に伝えることです。人にきちんと伝わらなければ意味がありません。わかりやすさが基本です。いわゆる名文であることは二の次です。読む人の心、頭にすっと入っていける文章の構成、言葉の選択が問われます。
なにを伝えたいのか。書く作業を通して、考えや思いを整理する、掘り下げる、突き詰めていくことが大切です。どこまで整理し、掘り下げ、突き詰めていけるか。その作業が書く本人にとっても魅力だし、読む人を引き込む原動力になります。
他人の文章を読むのは、かなりしんどい作業です。たいがいの人はしたいことがいっぱいあります。だから、書く側は簡潔な文章に徹した方がいいでしょう。意味不明なところなど、ちょっと躓く個所があると、もう読んでもらえないものだと考えた方がいいでしょう。

応募作品を読んで

どの文章も、吃音をどう受け容れるか、その苦悩を語っていて、同じ経験をしている私は胸をうたれました。
スムースに言葉が出ないことはつらいに決まっています。伝えたいことが伝えられないし、ほかの人と違う自分が恥ずかしい。どもりであることが自分のすべてだと思ってしまい、劣等感にさいなまれます。ここまでは自然な心の動きでしょう。要は、このあと、どうするかです。
伊藤伸二さんの文章の魅力は、悩みながら繰り返し繰り返し考え抜いてきたことから来ていると、いつも感服しています。作文のテクニックではなく、内面の葛藤が文章力を鍛えたのだと思います。
初めて読ませてもらって素直な文章が多いのに感心しました。逆に言えば、もっと心の中を掘り下げてほしかったという気持ちも否めません。人を引きつける文章は心の葛藤をさらけ出して初めて書けるような気がします。
ただ、文章の巧いか下手かは、人によって評価が異なると思います。素直に書くのが一番だと私は思っています。
技術的なことを少し書けば、全体に文章が詰まりすぎています。もっと整理し、さらに改行をもっと増やした方がいいと思います。それだけでも読みやすくなります。少なくとも途中で読むのを放棄されることから、いくらかでも免れます。

※五孝さんの講評は、3賞受賞各作品別ページについての講評に続きます。



「ことば文学賞」応募原稿・募集要項

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