日本吃音臨床研究会 伊藤伸二さんによる
  吃音と向き合う・語りあう
    東京ワークショップ No.3

            2005年11月26日〜27日

報告・中田智子



 ● 26日午後 セッションT
  大切にしているキーワード、何故吃りを治したい?、
  吃りを隠すということ、など
 ● 26日夜 セッションU
  就職面接・職業選択について、「社会」と「私」が接する
  部分・自分の奥にある世界、など
 ● 27日朝 セッションV
  「障害」について、「笑い・ユーモア」について、
  アサーション、など



 
 第3回の東京ワークショップは、参加者18人中初参加の方が10人、女性が12人を占める構成となりました。
 毎回女性の方が半数くらいなのですが、男女比が5:1と男性が圧倒的に多いとされる吃音の人の世界にあって、こういう構成はかなり貴重ですよね。女性の方にとって参加しやすいワークショップとなっているのはいいなと思います。
 ワークショップの記録は伊藤さんのお話を中心にまとめたものであり、参加者みなさんの素敵な反応やコメント、しょっちゅう部屋を包んだ笑い声、やわらかで温かい雰囲気、すべて記録できなかったのは残念です。


● 26日午後 セッションT

伊藤:リラックスしながらも自分にとって大切な「吃音」についてこの2日間たくさん考えてほしい。今回も一緒に考えていこう。
 ワークショップの中で大切にしてほしいことは、やりたことはしない、わからないことはわからないと言おう。でも思ったことは口に出してみよう。
 ワークショップの進め方としては、用意したテーマはあるけれど参加者の人たちの関心、思いを最優先していきます。

伊藤:普段大切にしている「キーワード」を持っていると、いろんなことが飛び込んできたり知るチャンスが得られると思う。
 先日TBSで放送された番組も、私たちのグループのキーワードとディレクターの斉藤さんのもっているキーワードが結びついて実現した。
 大切にしているキーワードとして
(1) 自己概念
(2) 傾聴
(3) アサーション
(4) 感情の適切な処理
(5) 自己開示
 この、自己開示の能力がとても大事。いろんなセルフヘルプで、自分のことを自分の言葉で語ることができるようになってから自分らしい生き方ができるようになった、という話をよくきく。(性的虐待を受けた女性の例の話)
(小グループになって自分の内面を表す「わたしは○○です」をどんどん言っていくエクササイズ)

伊藤:自分は今61歳。21歳まで吃りさえ治れば人生はバラ色になると思っていた。吃っている自分は仮の姿。本当の人生は治ってから・・と。
 吃りを隠すのは簡単。喋らなければいい。なんであの頃あんなに隠したんだろう。 なぜ吃音を隠すんだろう?
キーワード:隠す、逃げる)

伊藤:自己受容、自分を受け入れるということは、一般に言うほど簡単ではない。だから今はあまり自己受容という言い方は言わない。
 そうではなくて「吃りでも生きられるよ」ということを伝えていきたい。
 吃りを治す方法はあるだろうか?
 吃りが治らないとしたら、じゃあ、何をしたらいいだろうか。
(プリント「治療的アプローチと教育的(生き方への)アプローチ」を使って両者の比較)

伊藤:教育的アプローチは、吃音症状に焦点をあてるのではなく、吃っている人間全体へのアプローチであり、人間的なあり方を問題にする。

伊藤:ニーズという言葉がよく使われる。治したい、軽くなりたいというニーズ。何故吃りを治したい?
参加者:吃りは劣っている、いけないもの。人の迷惑。みんなと同じになりたい。電話を楽にしたい。信用を得たい。etc)

伊藤:「人とふれあい、自分らしくよりよく生きたい」ということが、みんなにとっての本当のニーズなのではないのだろうか。

伊藤:ニーズということに対して、変えることができるものと変えられないものがあり、変えられないものに対しては少しでも生き易くするヒントを得られたらいいね。
(電話のかけ方〜サバイバルの仕方を一緒に考える。 ポイント:(1) かける前 (2) かけている途中 (3) かけた後)

伊藤:吃りを隠すということは、じつはとても不誠実なことだと思う。大切なのは他人に対して誠実であること。吃ってもいいから伝えるべきことは誠実に伝えていくこと。
 人に対して、自分に対して誠実でありたいかどうか・・を考えよう。

伊藤:「苦手なこと」があってもいいじゃないか。そういうバランスでいいじゃないか。そういうふうに考えよう。
 また自分の思想(思い)を伝えるのにちょうどいいスピードというものがある。そのスピードは自分でみつければいい。
 自分たちは「普通」や「マニュアルどおり」にはできない。でも他のことはできる。「社会適応」ということにそんなに振り回されなくてもいいのでは。

(このページのトップへ)

● 26日夜 セッションU

(参加者が午後の感想、質問などを話し伊藤さんがコメント)

伊藤:「吃音のことをわかってもらえない」という前に、自分は吃音のことをわかっているのか、自分はちゃんと自分をかわいがっているのか・・を考えてみよう。

伊藤:電話対応などを「ヘンだね」と言われたら「そうなのよ。電話ではヘンなのよー」とユーモラスに言えばいい。
 よく「分かっていてもそうは言えない」という人がいるが、言えないのではなく『言わない』ことに気づいてほしい。
 自分たちは相手の反応にオドオドしすぎる。もっと遊び心を出して遊んでしまおう。

(初参加の人から、就職面接で吃音を隠していた時は落ち続けていたが、吃音を隠すのをやめて「吃るからこそこんなことができる」という話をしていったら合格した、という体験談)

伊藤:職業選択については、話すことの多い仕事がいい。話すことが少ない仕事を選ぶと恥をかくチャンスが少なくなる。吃音の人は実に多様な職業に就いていて、消防署や海上保安庁などの緊急連絡が必要な仕事でも、苦労しながらもちゃんとやっている人が多い。

伊藤:吃りは治そう、改善しようと取り組めば取り組むほど(それにこだわるほど)悪化していく。吃りを認めて「ま、いっか〜」と思えれば自然に変わっていく。これを<自然変化力>と名付けている。

(TBSの番組ビデオを一緒に観て、感じたことを話していく)

伊藤:最後に、「社会」と「私」が接している部分に吃音があるわけだが、この一部分にばかり注意を向けて、社会に合わせようとだけしていると、自分の奥にある世界がダメになってしまう。自分の奥にある世界をもっともっと豊かにしていかなければいけないね。

(夜のセッション後は、午前1時頃まで飲みながら、フリートークで盛り上がった)

(このページのトップへ)

● 27日朝 セッションV

伊藤:アサーションのテーマを一緒にやっていく前に、要望のあった「障害」について、「笑い・ユーモア」というテーマについても一緒に考えてみよう。

◆「障害」ということについて(吃音は障害か?)

伊藤:「障害」ということについて考えることには、とても意味がある。
 WHOの分類では「障害」の概念が以下のように分類されている。
(1) 機能障害(不全)
(2) 能力障害(不全)
(3) 社会的不利
そして(4)として 社会活動制限

伊藤:吃ることはあきらかに「ふつう」ではない。たとえば自分の名前を言おうとしていえないことがある。それは何らかの機能障害があるといっていい。能力障害は、機能障害によって例えば電話や発表ができない、といったこと。
 (1)と(2)までは世界共通だが、(3)以降は、国によって状況が違ってくる。また人によっても状況が違う。吃りで悩む人もいれば、吃っていても平気で生きている人がいる。吃りながらも自分らしく豊かに生きている人はいっぱいいる。

伊藤:僕の考えとしては、吃音の「障害」は基本的には(1)の機能不全のみだと思う。吃るから○○できない、ということはまずない。「吃らずに電話する」「吃らず滑らかに発表する」ことは確かにできない。けれど「吃りながら電話する」「吃りながら発表する」ことはできる。
 「ふつう」や「みんなと同じように」という考え方はやめて、「私は私の喋り方」と考えれば、吃りの場合は(2)の能力不全以降は基本的にない。
 ただ、「吃る」という事実があるだけだ。

参加者:「吃音を障害といっていいのかどうか?」)
伊藤:小学生の子ともキャンプでそれについて話し合ったが、実にいろんな意見が出て面白かった。
 他の障害と比べて吃音だけは、「判定」が難しい。それは波があったり、状況で随分吃りの状態が変わるから。
 かといって、「吃音は個性」という言い方は好きじゃない。
 僕の意見は、吃音はただ「現実」、ということだ。

◆「笑い」「ユーモア」について

伊藤:日本人は恥の文化だから笑われることが下手なところがある。
 先日のショートコースで、ある失敗談が披露された。上司に夜電話をかけるのに「夜分恐れ入ります」という言葉がどうしてもでない、そこで「おやぶん恐れ入ります」と言ってしまった。そのエピソードを聴いてみんなは大爆笑し、話した本人もとても楽になったということだった。
 今になって自分で笑えるなら、その時笑ってもいいよね。
 自分たちはクソ真面目なところがある。自分の吃りのことを人に話すときにも「実は・・」と深刻に話すのではなく、笑って話すと周りも楽ではないかね。
 「笑い」の中で楽になる。それはとっても大事なこと。

◆アサーショントレーニング

伊藤:20年くらい前、平木典子さんという人が「さわやかな自己表現」という言い方で紹介し始めてから、日本でも広がりを見せ始めた。
 これから話す「アサーション」ということは、すべての人がアサーションをせねばならない、変えなければならない、ということではない。変えたいなら変えてもいい、これが正解でこうしなければ、ということはない。そのことを知っておいてほしい。

 自己主張の仕方には3つある
(1) 非主張的(自分の人権は無視、他人の人権は実は△)
(2) 攻撃的(自分の人権は大事にするが他人の人権は無視)
(3) 主張的(アサーション)(自分他人の双方の人権を大事に)

伊藤:人は何故自分を主張できないのだろう?
参加者:わがままと思われたくない、長いものに巻かれろ、反論をされる、自信がない、否定されたくない、孤立したくない、相手を嫌な気分にさせる、みんなと同じでないと・・etc)

伊藤:自分を主張できない理由は5つある
(1) 自分の気持ちが把握できていない
(2) 結果や周囲の反応を気にする
(3) 基本的人権に対する理解がない
(4) 考え方自体が主張的でない
 (主張をすると攻撃されるに違いないという非論理的思考)
(5) 自分を主張するスキルが身についていない

伊藤:私自身が比較的主張的でいられるのは、自分の父親がしっかりおかしいことはおかしい、と主張している姿を見てきた体験があったからだと思う。

(アサーション行動のチェック表をそれぞれつけてみる)
(「待ち合わせの場所に友人が遅れて来た」という事例を出して、こういう場合自分ならどう反応するか・・)

伊藤:私たちは親や周囲からいろんなメッセージを受けている。
 「人に譲れ」「出しゃばるな」「いつもいい子であれ」「人に迷惑をかけるな」「人の気持ちを傷つけるな」
 特に最後のは、援助職についている人にそういう傾向がある人が多い。

伊藤:相手を尊重して主張するには、まず事実をちゃんと伝える。「私は〜と思った、〜だった」と伝えていけばいい。

(最後に参加者全員の2日間の感想を聞いて終了。)


(このページのトップへ)

・東京ワークショップ No.3 要項(このような会でした)

〔日 時〕2005年11月26日()14:00〜11月27日()12:00
〔会 場〕川崎グランドホテルセミナールーム
〔講 師〕伊藤伸二(日本吃音臨床研究会会長)
〔参加費〕18,000円(研修費・宿泊費・夕朝食込み)
〔定 員〕18名

ワークショップ事務局:TSねっと(Tokyo Stuttering Network)
 中田智子(なかだともこ)
 〒185-0024 東京都国分寺市泉町3-29-7-203 FAX:042-324-9024
 メールの宛先は、こちら です。

前回の様子  このページのトップ  第4回の案内