ことば文学賞 2018年度


最優秀賞 もういーよ 椿谷 昌史  
 

 いつもの月曜の朝のはずだった。僕の会社では、リーダーが一週間交代で前に出て朝礼の司会をする。僕は今週の当番だったので、前に出て行った。
 新入社員の体操が終わり、「おはようございます」という決まりきった挨拶だが、言葉が出ない。口をぱくぱくさせるしか出来ない。息を吸う事も、吐く事も出来なかった。・・・
 その日はサーバーの納品作業で、営業とユーザー先に向かった。
 「朝礼の時、どないしたん?」
 同行の営業は、裏表なく大らかな人で仲良くしていた先輩なので、思い切って言ってみた。
 「僕、吃音なので言葉が出ない時があるんですよ」・・・

続きを読む・・・



優秀賞 第3のどもり 嶺本 憲吾  
 

 「えっ、全然どもってないですよ」「どもりってわからないですね」
 よく言われる言葉である。私がどもりを打ち明けた時に、ほとんどの方がこう言う。
 言われた本人としては、「どもり」を打ち明けたのに、「どもり」ではないと否定された気持ちになり、じゃあ一体私はなんなのだ...と言いたくなる。・・・

続きを読む・・・



優秀賞 どもる子はかしこいんやで 西田 逸夫  
 

 子どもの頃から、親にも親戚にも、どもりのことを責められたことはない。むしろ正月に親戚が集まったときなど、「どもる子はかしこいんやで」と、声掛けされることが多かった。特に父方の叔父と母方の伯母が、私の顔を見ると決まったように、そのフレーズを口にした。
 ・・・私は、自分がどもることに大きなコンプレックスを抱えていたから、そんな慰めから来ることばでも有難いには違いなかった。・・・

続きを読む・・・


2018年度 最優秀賞

もういーよ

椿谷 昌史(つばきたに まさふみ)

 いつもの月曜の朝のはずだった。僕の会社では、リーダーが一週間交代で前に出て朝礼の司会をする。僕は今週の当番だったので、前に出て行った。
 新入社員の体操が終わり、「おはようございます」という決まりきった挨拶だが、言葉が出ない。口をぱくぱくさせるしか出来ない。息を吸う事も、吐く事も出来なかった。
 まわりがざわつき始めると皆に責められている様な気がして、頭の中が真っ白になった。そのまま立ちつくしていると、やっと小さい声で「おはようございます」が出た。実際の時間は分からないが、僕の中ではとても長い時間に感じられた。
 朝礼が終わると、すぐにトイレに逃げこんだ。ドキドキして収まらない鼓動を落ち着かせるために何度も深呼吸をした。
 その日はサーバーの納品作業で、営業とユーザー先に向かった。
 「朝礼の時、どないしたん?」
 同行の営業は、裏表なく大らかな人で仲良くしていた先輩なので、思い切って言ってみた。
 「僕、吃音なので言葉が出ない時があるんですよ」
 「何言ってんねん。今までちゃんとしゃべってたやん」
 そこから、子供の頃からどもっていた事・苦手な言葉や苦手な場面を説明した。朝の光景を目にしてもまだ半信半疑のような表情だった。
 吃音の話が出来た事で前から気になっていた事を、おどけたふりをして聞いてみた。
 「吃音の事が会社に分かると首になったりしないですかね?」
 「アホか! 首になるか! 営業みんな困るやんけ!
 一蹴されたが、少し気持ちが楽になった。ふざけついでに「次、朝礼当番の時に言葉が出なかったら指さすので、僕の代わりに『おはようございます』と言ってください」とお願いすると、任せとけと言ってくれた。
 次の日の朝礼当番の時も言葉は出なかった。慣れたのか焦る事はなかったが、任せとけと言ってくれた営業の人を指さす勇気もなかった。言葉の出るタイミングを探るために「出るかな? 出るかな? あかんわ。でーへんわ」とブツブツ言いながら、ふりしぼる様に声を出した。
 結局、金曜日までそんな調子が続いた。金曜の朝礼が終わると解放されたと思ったが、次の朝礼当番の事を考えると憂鬱だった。『何週間後にまわってくるのだろうか? 直行をつかって逃げようか』悶々とそんな事ばかり考えていた。
 そして、一週間後の大きな納品作業。営業・技術合わせて五人ほどで行った作業の昼休憩の時だった。
 「椿さん、体調大丈夫なんですか?」と急に聞かれた。
 不思議に思って「大丈夫やけど、何で?」と聞き返した。
 「前の朝礼の時、あのまま倒れるかと思いましたよ」
 「えっ!」としか声が出ずに絶句していると、他の人たちもかぶせてきた。
 「直接聞けませんでしたけど、僕もそう思ってました」
 「結構、みんな心配してますよ。脳出血とか脳梗塞ちゃうかって。あいつ危ないって」
 そこでまた、僕の吃音の事を話した。驚きながらも明らかに安堵した様な表情で聞いていた。思い返すと「大丈夫か?」と時々聞かれていたが、僕の中では『あの作業大丈夫か?』『あのユーザー大丈夫か?』と勝手に解釈して「はい。大丈夫っすよー」と答えていた。体調を気遣って頂いた言葉なら、軽すぎる返答だった。恥ずかしいくらいバカだった。
 僕の会社では、五年ほど前に僕より年下の人が営業の運転中に脳梗塞で倒れた。その日はたまたま助手席に座っていた同行の人が気づいて、助手席からハンドルを握って停車させて救急車を呼んだ。すぐに病院に運ばれたその人は一命を取り留め、一年半ほどのリハビリを経て、職場復帰していた。その事も手伝ってか朝礼での僕の様子は、僕が想像もしていなかった方向へと話がすすんでいった。
 それから僕の心の中で『誤解をとかなければ』という想いが大きくしめていた。言葉が出ない事(吃音)は自分の中では幼少期からの大きな事で、これまでの人生にも大きな影響を与えていたが、他の人にずっと心配され続ける事ではない。僕の吃音を他の人がみんな理解してくれて、言葉が出ない時は話さなくてもいいという状況を想像した事は、確かに何度かあった。なんて楽で快適な状況なのかと夢見た事もあった。でも吃音によって自分の体を心配してくれている人がいる事は、申し訳ない気持ちしかなかった。
 『吃音の事を言おう』消極的で引っ込み思案な僕が、すんなりと決断出来た。義務ではない、積極的な『言わなければならない』だった。
 チャンスは二・三週間後にまわってくる朝礼での朝の一言。全社員が順番で言う三分ほどのフリートークの時間。この場を借りて言おうと思った。一人一人に言わなくても、全体に言えるので手っ取り早い。そう心に決めて、朝の一言の順番を待った。話す内容も数日前にはまとまり、練習もしていた。
 しかし、前日に迷いが出た。『今更かな? 言わなくてもいいかな? 全社員に向けて気持ちを伝えた事などなかったし』
 背中を押してくれたのは、大丈夫か? という言葉だった。まだ心配してくれている人がいるかもしれない。今言わないと、誤解させたままになってしまう。
 いよいよ当日、朝礼までが長く感じられたが、朝礼が始まってからは早かった。前に出て、壇上に立ってマイクを握った。もう後戻りは出来ないと心に決めて話しだした。
 「おはようございます」という挨拶で始まり、前回の朝礼で声が出ずに騒がせてしまった事・吃音なので声が出ない時がある事・子供の時からずっとそうである事・今まで話さないといけない時に、声が出ずに不快な思いをさせた事があるかもしれない事を伝えた。 そして最後に一番伝えたかった事。
 「次からも『おはようございます』は出ません。しゃーないなという気持ちでザワザワしながら待っていて下さい」
 この言葉に『これが本当の僕なんですよ。一番自然な僕なんですよ』という想いを込めた。
 言い終えて席に戻ると、パソコンの画面にメッセージがとんできた。「よう言うたなー!(言った事は)必要やったと思うぞ」「言いましたねー」
 今度は本当の意味で解放されたと思った。前は逃げれたという意味での解放だったが、今回は違った。『もう言葉が出なくても焦らなくていい。自分のペースでどもりながら話したらいい』と何も隠さず、ありのままの自分でいいのだというありがたい気持ちだった。

 あれから、数ヶ月が経った。時々、考える事がある。
 『あの時、確かに吃音の事言ったよな? みんなの前でマイク持って言ったよな?』というくらい何も変わらない毎日を過ごしている。自分の中では楽になったけど、周りは何の変化もない。自分から言い出さないと吃音の事は、話題にも上らない。話題にあげても、「そういえばそうでしたね」程度の反応だ。
 自分の中では大きな出来事であり、重大な判断を下し、一大決心で臨んだ事だったのに。 そんな事を考えているとおかしくなってきた。『周りは自分が思っているほど、自分の話し方を気にしていない』という大阪吃音教室で何度か耳にした言葉を思い出した。 『そりゃそうだ。何も気にしていなかった事を言われても、気になるはずがない』 これでいいのだ。これも又、自然な状態なのだ。
 今まで、周りは自分の話し方を気にしていないと言われても、素直に受け取れない自分が、いつもいた。自分がずっと気にしてきた事であり、笑われたり真似されたり、怪訝そうな顔で見られた事もあったから。でもそれにずっととらわれて、自分だけが必要以上に気にしていた事に気づいた。同時にたった一人でかくれんぼをしている自分を想像してしまった。
 鬼なんて居ないのに、誰にも見られていないのに一人で必死に見つからない様にしている自分を。さらにおかしくなってつぶやいた。
 「もういーかい? もういーよ。長い長い遠回りをしてきたな」

【選者講評】
 この話は、昨年の大阪吃音教室の忘年会で聞いていた。吃音の公表などという大げさなことではなく、自然に任せ、全社員の前で、自分の吃音のことを話したという話は、そのときの忘年会のスピーチで一番印象に残った。今回、その話を文章として読んだが、タイトルだけでは、そのときの話だとは分からなかった。聞いたときには分からなかった本人の心のうちを丁寧に綴られているのを読んで、「吃音の公表」は、自分のためにするものではなく、周りの人のため、周りの人を気遣ってのものだと改めて思った。
 体調を気遣ってくれている仲間、その仲間に本当のことを伝えたいと思ってとった行動、本人にとって一大事だったはずの出来事なのにその後何も変わらない職場の雰囲気、そのオチがまたおもしろい。受賞のコメントを読み、最後をどう締めるか悩んだとのことだった。
 鬼のいないかくれんぼ、こんなユーモアのあるものなら、今、同僚に自分の吃音のことを話そうかどうしようか迷っている人の背中を押してくれそうだ。

【作者感想】
 「ことば文学賞」最優秀賞ありがとうございます。
 僕は、ずっと職場全体に自分の吃音を公表することは出来ないと思っていました。何人かの身近な人には言えても、皆に向かって言う事などは夢にも思いませんでした。
 でも幾つかの偶然が重なり、自然に気持ちを伝える場面につながりました。だから、今回の体験を書こうと思いました。以前の僕と同じ様に公表するハードルを感じている人に一つの例として参考になればと思いました。
 僕の体験した事を出来るだけイメージして頂ける様に、心の動きを分かってもらえる様に書きました(ここまで自分の感情を表した事はなかったので、恥ずかしかったです)。
 実は、二月頃に書こうと決めてから、八割くらいを数日で一気に書きました。そこから、どう終わりにするかと題をどうするかが、全く浮かばずに三ヶ月ほど何も書けずに苦しみました。期限ぎりぎりに絞り出すような感じで、何とか形になりました。
 応募した後のホッとした気持ちも含めて、面白い経験になりました。

2018年度受賞全作品ページ

このページの先頭に戻る


2018年度 優秀賞

第3のどもり

嶺本 憲吾(みねもと けんご)

「えっ、全然どもってないですよ」「どもりってわからないですね」
 よく言われる言葉である。私がどもりを打ち明けた時に、ほとんどの方がこう言う。
 言われた本人としては、「どもり」を打ち明けたのに、「どもり」ではないと否定された気持ちになり、じゃあ一体私はなんなのだ...と言いたくなる。どもっていないわけではない。どもりそうだったら、間をとって話したり、どもらない言葉に言い換えたり、考えてるふりをしているだけだ。「本当はどもっているのだけれども、どもらないように工夫しているからわからないだけだよ」、と説明をしていた時期もあったが今はもうしない。説明してもわかってもらえないだろうなという気持ちが強くなったからだ。
 そうなると、自分をどもらない普通の人として演じる必要がでてくる。その方が都合がいいからだ。どもったら説明しなきゃいけなくなり、かといって、説明してもわかってもらえないため、どもりとは認めてもらえない。それなら、はじめからどもらない人として接した方が楽である。こちらとしてもあちらとしても。しかし本当はどもっているのに、どもっていないフリをするから矛盾が生じて苦しくなる。じゃあどうすればいいんだという話になる。

 実は私は自分のことを、“どもりと認めてほしい”と思っている。でも自覚できるくらい私はどもらない。本読みとかでも、発表とかでも、意外にどもらない。どもろうと思ってもどもらない。どもろうと思ったら、反対に全然どもらない。じゃあ私はいつどもっているのだろうと思う。今まで生きてきてわかったことは、普通の雑談レベルのとき、実は私は一番どもるのではないかということだ。推測で話しているのは、あまり発表とかの経験が少ないうえに苦手と感じているわけではなく、どちらかというと雑談の方が苦手だと感じているからだ。いわゆるどもりの質ではなく量という観点から見た場合に、どもってしまったと自分が一番多く感じているのが「雑談」なのだ。
 でも雑談は、言葉の言い換えがしやすいし、間をとって言えるタイミングで話せるし、相槌とかジェスチャーとか随伴運動もしやすいし、どもらずにいれることのオンパレードだ。でもどもらずに話すことがどもっていないに通じるとは限らない。私の場合、どもらずに話す工夫はすべてどもっていることにカウントされるからだ。どもらずに話しているけど、自分では実はどもっていることを知っているから、どもらずに話していることにはならないということだ。ここがなんとも複雑で、単純に「どもっていないからいいじゃん」という一般論とは大きくかけ離れた部分であり、自分でもわけがわからなくなるもどかしい部分でもある。そういうこともあって、実はどもる量としては一番多いという結論に至るので、雑談が苦手だと感じるのである。どもろうがどもらまいが、そんなのはたいして関係はないということである。

 とにかく雑談は疲れる。話の流れを把握し、相手の話を聞きつつ、どもらずに話す工夫を考え、瞬時に実行し、話の流れの先を予測し(先読み)、言えそうな言葉をストックしつつ、相手の発した言葉の表面上ではない本当の意味を考え(深読み)、大阪人なのでボケとツッコミも適度に入れつつ、自分の主張も盛り込んで話していかなければならない。さらに相手のしぐさや表情を観察し、その意味を考えつつ、ジェスチャーとかにも反応しなくてはならず、とにかく大変だ。複数人相手ならまだ休憩時間を作ることが可能だが、一対一ならもう頭がパンクして私の会話処理能力が限界値をずっと超えてしまう。それに人の目が恐いので、目と目を合わせて会話することも避けてしまう。さらに私の家にはTVがないので、流行の言葉や番組や芸能人やニュース、スポーツ等がまったくもってわからない。端的にいうと話題がない。広く浅い会話内容が繰り広げられない。私が知っている狭く浅く、時々深いと思われるジャンルしか話せない。だから早めに会話を切り上げたいと思ってしまう。ここまで書いてみて、どもり以外にも原因があると気づいた。だから雑談が苦手なのだ。

 私は自分のことを第3のどもりだと思っている。第3のビールみたいな感じだが、まさしくそこから連想した。麦芽100%のビールでもなく発泡酒でもなく、第3のビールだ。個人的に言わせてもらうと味が薄く、糖類とかコーンスターチとかが入っているのが気にくわない。メリットは安いだけだ。しかし、正直に言うと、2、3口目以降はたぶん味の違いはわからないと思う。だから麦芽100%で丁寧に作られたビールであっても、第3のビールであっても飲んでしまえば私にとってはビールなのである。どもりも同じで「どもりはどもるからどもりであって、どもらなければどもりではない」という世間一般の定義に流されない「第3のどもり」として自分を定義しようと思う。どもり100%で生きていけないけど、細々と一応どもりですというスタンスで。本当はいつでもどこでもどもりたいという気持ちを持ったまま、たまに本当にどもって、それで良いと思う。 
 あとはいつかTVを買って、月に2度くらい麦芽100%のビールを飲めればそれでいい。

【選者講評】
 「どもらずに話すことがどもっていないに通じるとは限らない。私の場合、どもらずに話す工夫はすべてどもっていることにカウントされるからだ。どもらずに話しているけど、自分では実はどもっていることを知っているから、どもらずに話していることにはならないということだ」
 この解釈は、どもらない人にはおそらくわからないだろう。どもる人であっても、もしかしたらわかりづらいかもしれない。単にどもる状態をなくすことができれば、どもる人にとって幸せだろうと考える専門家には絶対にわからない。それほど吃音というものは、複雑で奥深いものなのだ。どもる状態ではなく、どもりをどう受け止めるかが大切だとする大阪吃音教室に参加している作者だからこそ考えられたことであり、まさにその通りだと賛同の拍手を送りたい。
 雑談についての分析もおもしろい。そうして分析して、雑談が苦手な原因をどもり以外にみつけたのも正直で興味深い。難しい話で終わらず、第3のビールではなく、月2度くらい麦芽100%のビールを飲みたいとしめくくるユーモアも微笑ましい。

【作者感想】
 優秀賞をいただきありがとうございます。
 あまりどもらない(どもれない)私は体験談と呼ばれるものがあまりなく、とりあえずどもりを誰にも相談しなくなった理由をスタートとして、徒然と書いてみたのがこの文章です。
 書き終わって読んでみると、自分はこんなことを考えていたのかと気付くことが多くて、びっくりしました。自分がどもりの何に悩んでいたのか、何が心の中で引っかかっていたのか、どもりと向き合うことから避けてきたことが、文章にすることで浮かび上がってきました。それをどう処理するのかは別の課題として、結果として締め切り間近に大慌てで書いたことが、自分の中にあるブレーキを緩める働きをしたみたいです。なんだか自分だけが得をした文章ですが、まさかの優秀賞でとても嬉しく思います。ありがとうございました。

このページの先頭に戻る


2018年度 優秀賞

どもる子はかしこいんやで

西田 逸夫(にしだ いつお)

 子どもの頃から、親にも親戚にも、どもりのことを責められたことはない。むしろ正月に親戚が集まったときなど、「どもる子はかしこいんやで」と、声掛けされることが多かった。特に父方の叔父と母方の伯母が、私の顔を見ると決まったように、そのフレーズを口にした。
 子ども心にも、それが大した根拠のない、身贔屓(みびいき)から出ることばだと分かっていた。もちろんその当時の私は、身贔屓なんてことばを知らない。それでも私は、自分がどもることに大きなコンプレックスを抱えていたから、そんな慰めから来ることばでも有難いには違いなかった。
 「どもる子はかしこいんやで」は、ふた昔ほど前まで、私の以外のどもる人についてもごくたまには耳にするフレーズだった。いつからか「どもり」ということばがテレビ、ラジオから消え、やがて「どもり」自体を知らない人が多くなって、このフレーズは絶えて耳にしなくなったのだが。
 最近、とりとめもなく考えごとをしていて、ふとそんなことを思い出した。すると不思議な偶然で、それに少し関係のあるメールが届いた。40年以上会っていない知人で、メールさえもほぼ20年振りだった。

[Tさんから私あて]
西田さん、ご無沙汰しています。Tです。覚えていらっしゃいますか。
学生寮では隣の部屋からよくお邪魔し、いろいろなことを話しましたね。

特に、吃音体験を興味深く聞かせて頂いたのが、今でも懐かしいです。
実は私は今、学習塾をやっています。
生徒の一人、小学5年の男子が吃音で、それで西田さんのことを思い出したのです。
西田さんが小学生に似ているというのも失礼ですが、その子のたたずまいが、どことなく西田さんを思い出させるのです。
そんなわけで、このメールを書いています。
メールアドレスが、変わっていなければ幸いです。

 Tさんはその当時、自分で作った学生運動の小グループを率いる、私から見てとても格好いい存在だった。70年代には、「オルグ活動」――政治に関心の薄い学生や他の政治グループにいる学生を、自分のグループに引き摺り込む活動――が盛んに行われていたのだが、彼はその活動を展開するのに便利な場所として、学生寮で暮らしていた。
 そんなTさんから見て、私はオルグ対象の一人という位置づけだった。それでも、少し年長の私に、彼はずいぶん丁寧に接してくれた。どちらかと言うと、私の部屋に彼は、もっぱら息抜きの雑談を楽しみにやって来ていた。社会経験が少なく、自分から語る話題に乏しかった私は、吃音体験を口にすることで、情報交換や意見交換の収支バランスを、何とか均衡に近づけようとした。
 幸いにしてそれがTさんには印象深かったようで、40年後も覚えてくれていた。長らく年賀状は交換していて、それがやがて年賀メールの交換になり、20年前にはそれも途絶えていたのだったが。
 メールでの懐かしいやり取りは、互いの近況報告や、時事的話題の意見交換を経て、やがて再び吃音の話題に戻る。

[Tさんから私あて]
この一連のメールは、小学5年の生徒、S君の吃音のことから始めたのでした。
彼が何か話そうとしているとき、実際に口から出ることばは少なくても、頭の中ではより多くのことが渦巻いていると伝わって来るのです。
何かそのことで、思い当たることはありませんか?

 一読して、頭の中で何かがヒットしたように感じた。それが何なのか、半日ほどして気づき、Tさんに返事を書いた。

[私からTさんあて]
Tさんが書かれた、S君が話そうとしているときの感じ、私にはとてもよく分かります。 どもりながら話しているとき、私は常に、次に言おうとすることばが詰まったり引っ掛かかったりしないか、頭でチェックしています。
まさに、「口から出ることばは少なくても、頭の中ではより多くのことが渦巻いている」状態なのです。

実を言いますと、TさんがS君について書かれたことがヒントになり、私の長年の疑問が一つ解決しました。
子どもの頃、私の吃音について叔父や伯母がよく、「どもる子はかしこいんやで」と口にしました。
私はこれは、身内寄りのバイアスが掛かった発言だと受け止めていましたが、そう言うには根拠があるはずで、それは何かと疑問に思ってもいました。
今では誰もこんなことを言わなくなり、私も長年この疑問を忘れていました。
最初のメールがTさんから届くしばらく前、このフレーズのことや当時抱いていた疑問を、たまたま何の気なしに思い出したのでした。

私に限らず、どもる人は似たような言い換えをしながら話しています。
いや、黙っているときも、今考えていることを話すとしたらどんなことばづかいをしようとか、急に当てられたらどう切り抜けようとか、頭の中で会話のシミュレーションを続けながら過ごしています。
そんな様子が、「どもる子には外から見える以上のことがある」印象を周囲に与え、「どもる子はかしこいんやで」につながるのかも知れません。

長いメールになりました。
Tさんのメールから読み取ったことが、私にとって大きなことだったので、つい長々と書き込んでしまいました。

 このメールへのTさんの返事は、2、3日してから届いた。

[Tさんから私あて]
最後のメールを頂いてから、あっと言う間に日が過ぎました。
何かと多忙にしていたせいもあったのですが、西田さんの書かれた内容が意外なことの連続で、すぐには返信に取り掛かれませんでした。

「口から出ることばは少なくても、頭の中ではより多くのことが渦巻いている」というのは、それほど考えて書いたわけではなく、私がS君に普段感じていることを書こうとして、たまたまそういう表現に行き着いたのです。
それが、実際それに近いことが起こっているらしいと分かり、本当に意外でした。

それに何より、西田さんが、そして多分S君も、話すときにそんな苦労を、いや違いますね、そんな工夫をしているなんて、思っても見ませんでした。
西田さんから、吃音のことをたくさん聞いた気がしていましたが、これは初耳でした。
それとも、お話し頂いたのに、私が忘れてしまっていたのでしょうか。

 私はすぐ、次のメールを書いた。言い換えについて、私が伝えていたのにTさんが忘れたかも知れないとの誤解は、早めに解いておきたかった。それに、Tさんからのメールを待つ間に気づいた小さな発見を、早く伝えたかった。

[私からTさんあて]
若い頃の私は、吃音について人に伝える経験が乏しく、うまく表現できませんでした。
どもることでの失敗談はたくさん話したでしょうが、あの頃に言い換えについて説明できていたとは思えません。
Tさんがお忘れになったわけではありませんから、ご心配なく。

それはそれとして、Tさんからのメールを待っている間に、一つのたとえを思いつきました。
どもる私たちは、常に言い換えることばの候補を頭の中でチェックしていますから、停止中もアイドリングが掛かっている車のような状態なのです。
そんな状態が、外から見えているもの以上の何かがあるらしいと、周囲に感じさせるのでしょう。
S君や私が、アイドリング状態が理由でかしこそうに見えているのだとしたら、自分で気づかぬうちに、案外得をしているのかも知れません。
S君はどうか分かりませんが、少なくとも私は、言い換えのことばをあれこれと頭の中で手繰っているだけで、何か中身のある考えごとをしているわけではないのですから。

 次のTさんの返事は、その日のうちに届いた。

[Tさんから私あて]
ああ、この感じ、とても懐かしいです。
私は学生寮の頃、ご存じのようにオルグ活動のために各部屋を回っていました。
西田さんの部屋も、当然それが主目的で訪問していたのですが、いつも思いがけない話題で盛り上がり、満足して退出するのでした。
あの頃のそんな感じを、メールで再び味わうことができました。

S君には、一連のやり取りのことは特に話さず、別の機会に西田さんが書いておられたように、ほかの子どもと変わらず接するよう、これからも心掛けます。
本当に有難うございました。

 唐突に始まったメールのやり取りは、こんな風にして一段落した。若い頃の私がTさんに、案外ちゃんと話すことができていたのだと、初めて知ることができた。私の懸念していたほどには、情報提供の収支バランスは崩れていなかったようだ。それも、その頃の苦労の種だだった吃音そのもののお陰で、私からの情報提供ができていたのだ。
 もちろん、漠然としたものだったにせよ、長年抱き続けていた疑問が氷解したことは、手放しで嬉しい。それも、尊敬できる相手との、懐かしい思い出を甦らせつつという、解答を得るまでの経過も含めて。それに、こうして私は、その小さな副産物として、「どもる人のアイドリング状態」という、吃音の新しい表現を手に入れたのである。

【選者講評】
 頭の回転が速すぎて、口から出ることばが追いつかないから、どもる。だから、どもる子はかしこい。そんなことを聞いたことがある。何の根拠もないが、「そうか、どもる人はかしこいのか」と妙に納得した覚えもある。
 40年前の懐かしい人とのつながりが、今、メールという手段で復活し、そのメールのやりとりを通して自分を振り返り、それがことば文学賞の作品になった。メールのやりとりの紹介がこれまでの応募作にはなかった手法で、新鮮さを感じた。
 とことん考え抜き、追求する作者が発見した「どもる人のアイドリング状態」は、吃音のもつ複雑さ、奥深さを表しているといえよう。作者の研究テーマがまたひとつ広がったようだ。吃音は奥の深いテーマだということだろう。

【作者感想】
 優秀賞受賞、とても嬉しいです。ここに書いたエピソードは14、5年前にあったのですが、そのまま文章にするのは私には難しく、最近のことのように表現しました。その点だけがフィクションで、メールのやり取りも、私の心の動きも、当時起こったことをほぼそのまま再現しました。
 すぐに分かるようなどもり方で話す私には、若い頃から「吃音を隠す」という選択肢はありませんでした。それより、どもって話すことで、余計な緊張をしているとか、慌てているとかいう誤解を受けるのがいやで、「私はどもるんです」と、自ら進んで公表してきました。今回の作品に書いたTさんのように、お互い敬意を抱いて接するような相手にはなおさら、フランクに吃音を話題にしていました。そんな風にどもって話す人が相手の目にどう映るか、一つの例を描けたかなと思います。
 今にして思うと、大阪吃音教室に通い始める前の私は、吃音についていろいろな誤解をしていました。若い頃はさぞ、間違ったことをたくさん話していただろうと、少々冷や汗が出るのを感じつつ。

このページの先頭に戻る


各年度最優秀賞受賞作品ページへ      2018年度「ことば文学賞」応募原稿・募集要項
トップページに